アクロポリス - 都市と女性と花殻と -
もし 男性性が
社会に所属し
そこを良きものに変革することを
目指してやまぬ 気質ならば
多分 女性性とは
世界をただ愛してやまぬ
うっとりと豊かに漂う気質なような
そして 全てのヒトは
精神的には 両性具有なのだから
自分の内なる 女性性と 男性性が
上手く 噛み合っている
その 塩梅のよい 神合わせ が
大切なんだろうな と思ふ
さて 都市と女性 である
わたしが もし今を生き
社会に根ざす リアルな男性ならば
コンクリートジャングルの森の中
ビルディングの谷間深く
鮮やかに咲く
野生の花のような女性に
たぶん ドキッとするだろう
都市がもし その地域のエッセンスを
凝縮して成り立っている
世界という地だまの
美しき経脈のようなものならば
そんなビルの谷深く
幾夏 花咲き 花は落ちて
花殻となった幾星霜が 大地なら
ヒトはヒトに 今日一日
少しなりとも優しく微笑みあい
手を差し伸べあったならば
今 貴方の足元の大地に層を成す
目に見えぬ 花々の精霊が喜んで
波を割り 道を開き 山は笑い
都市という 鮮やかな花が
貴方の人生を 豊かに彩ってゆくこと
たぶん きっと 限り無し
新しき ミヤコ
千年の時を隔て 今宵蘇りしは
目には見えぬ 新しき平安京
其処には エレクトリックレッドの 瀧 流れ
白馬と書いて あおうま と読む
古典の試験でもお馴染みの あのアオウマは
新都の玄武より朱雀を 駆け抜けて
海馬となり 青龍となり 天へ昇る
千年の平安の都は 今宵 遂に
青龍昇りて 今ここ 新京都
まこと龍宮の現し身となりにけり
そを知るは 踊りて 踊りて 踊りて
やがて風となりし 美しきヲノコメノコと
時空間の外より 細く清けく変わらず強く
響く 恒常なる笛 千年の音一条
思えば 遥か彼方 アモトの果てより
ずっと変わらず たったひとつ
ひとりひとりが運びし 音秘メなる玉手箱は
ぱかっと開いて いよいよ ハジマリハジマリ
安珠さんの写真展 Invisible Kyoto
- 目に見えぬ 平安京 -
音楽 細野晴臣
言葉 松本隆
ナイト★ミュージアム
舞 アルトノイ(酒井はな/島地保武)
笛 雲龍
見えない千年の都に捧げられし
鍛え上げ肉体から自由となり風になった體
いにしえより変わらぬ 恒常の音
古今東西 磨き上げられしものを
持ち寄り 捧げた 美しい御祭典に
見えぬども 集られし
いにしえのやんごとなき方々の
あまたなる衣摺れの音
焚き染めし 御香
ひそやかな 囁き 笑い声が
喜びとともに 聞こえてくるようでした
とにかく そっと そっと
頭を動かさずに 無駄口も叩かずに
水面を漕ぎ行く舟のように
そっと そっと 夜の波をかき分けて
家路につこうと思いました
ぼおっとしていたので
車中に 衣を忘れたようで
美しいオノコメノコの方々が
どなたかお忘れではございませんか と
美しい日本語で
高らかにお声掛けくださいました
やはり 今ここは もう龍宮
還ってきた碧い衣を 撫でながら
モウダイジョウブ と思いました
花言葉
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
こんな雨の日の
喫茶店
美しいお花が
街の片隅の テーブルの上に
咲いていた
わたしは
目の前の人と
おはなしをしていたけれど
もしかしたら
この美しい花とも
運命の出会いをしていて
もう一つの国の言葉で
秘密のおはなしを
していたのかもしれない
というか
もしかしたら
この花が まだ種だった頃
まだ 小さな若葉だった頃
この花は この花なりに
美しい世界を夢見て
そうして
今日のこの佳き日
わたしと 運命の出会いを
もしかしたら このお花さんも
とうとう 果たしたのかも
最初は 棘のある
仙人掌サボテン で
それは 一見
今の美しい花姿とは
少し 遠いような
葉の姿
それでも
美しさを夢見て
あの ぺろん として
平べったい
おまけに
棘までつんつんした
あの葉の姿で 幾年月
それでも 夢を見て
それでも 育っていくのは
今のところ 平べったい
この棘のある 葉ばかり
Sigh...
でも それでも 夢を見て
それでも 美しさを 夢見て
そうして いつか
その葉から あろうことか
こぶみたいな 妙なものが
あろうことが それが
どんどん 大きくなって
それが どんどん
妙なものに なっていって
わたし
そんなつもりじゃなかったのに…
もし人間のおんなの人なら
そんな風に 思い
軽く ため息をつくことだって
あったでしょうに
でも この花のヒトは
植物界の 方々だから
そんなギモンや
ましてや ため息なんか
なんのその
そんな暇があるならば
葉緑素に 酸素呼吸
日々 ただ 前進あるのみ
朝日が昇り
夕日が落ちる
月は満ち欠け
星は座標を描き
お天気の日や 雨の日
虹や 雷 白い雪
そんな記憶を
ただ 淡々と
このぺろんとした
棘のある葉に 記憶して
そうして ある日
その妙な膨らみから
咲いた 美しい花
お花さんは
この お花さんのことを
育ててくれた方の手で
ある日 よく切れる
鋭利な刃物で
手折られさえして
とうとう
しんでしまったのかしら
いえいえ
あなたのことを
美しいと思う
公 おおやけ という
この小さな街の
喫茶店という原っぱの
透明なグラスの
今は 水の中
美しいことが ダイスキな
わたしみたいなヒトと
毎朝入れ替わり
たくさん出会って
世の中が 美しくなる
魔法を 今朝も
もう一つの国の
秘密のコトバで
おはなし -お花し- しましょう
まるで 仙人の掌の上で
夢を見るような この朝に
〜 孔雀仙人掌 クジャクサボテン 〜
〜 竜宮時 リュウグウドキ 〜
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
〜 竜宮時 リュウグウドキ 〜
どうやら
梅雨入りをしたもよう
晴れた日は
清々しいし 気持ちもいいし
洗濯物も 乾くし
それは それで
好きだけれど
雨が続くこの頃も
案外しっとりと いいもの
梅雨の始まりに
はらはらと 降る風情は
まるで 天から 透明なる
水晶の 花弁が
からころ 舞い散るよう
それは それで
軽やかで 明るい雨で
それも それで いいけれど
案外 ずしり
天と地を 真直ぐに結び
瀧のように落つる
水底のような 仄暗い光の中
降る雨こそ をかしけれ
さながら 陸が このひととき
海の底になるようで
その一瞬の化身は
春と夏の間の
今の この時期だけのこと
少し どきりとする
あるいは
今 わたしたちの棲まう
理路整然とした この場が
実は 遥か亜熱帯の
モンスーンにも 繋がり
大地 芳醇に匂い立ち
息吹き吹き上がる
地龍であることを
単なる 國家などだけではない
生ける 國體であることを
終わりなきかのような この雨が
思い出させてくれる
そうして 一雨ごとに
地の龍の鱗が 一燐一燐
水を得て 命蘇り
大きく 伸びをする
やがて 地龍は 知立は
天から地へ 豊かに落つる
無限なる 水の滋養に 満たされ
時を得て ある日
無音なる 雄叫びを
虚空を切り裂き ひと鳴きすると
美しき紫なる
一条の稲妻の光とともに
地から天へ
天竜となり 還りゆく
今は この地上こそ 竜宮の
だから 今こそ 竜宮どき
そんな竜宮どきの ハジマリに
大好きな 泰山木の花が 咲いた
赤ちゃんの頭ほどある
大きくて肉厚な この花は
なぜか 日々 陽を受ける
東側から咲かず
一番上 天から 咲いている
不思議だなぁ ふつう
太陽の日差しを
たくさん受ける方から
早く成長して
花も咲くだろうに
そんな 日輪の力が支配する
地上の法則からも 自由な
気高き 天なる この花を
なお一層 愛してやまぬ 竜宮時
アクロポリス ドルフィナス
逗子 zushi という響きが
なんとも 懐かしく
右脳と左脳の 群青の狭間
海馬の彼方より いざなうので
あまり深い考えも なく
彼の地に行かうと ただ 思い立つ
然し乍ら 今までも
旅は あまり理由もなく
なんとなく から はじまる方で
そして なんとなくはじまるヒトは
旅の最中や 波濤の果て 渦潮の彼方
はじまりの 今中に
行き交う舟のように 棲まうだろうし
逆に 理論から はじまるヒトは
いずれ 摩天楼のような ビルディングを
青き空の下 高く高く
輝けるポリスに 建てるのだろう
🌊
さて -ズ ZU ヅ- である
伊豆 出雲 水 頭脳 厨子 泉
イヅ イヅモ ミズ ズノウ ヅシ イズミ
興味のあるワードが
出ずること 出ずること
そして 豆 という部首も
前々から 気になっている
🌊
そして わたしは
映画を観に そして御笛を聴きに
伺ったのだけれど
何と 映画の方は
同じタイトルの 回数違いだそう
それが 申し込んだ後から わかり
いつもながらの うっかり
でも このうっかりが 案外よくて
うっかりなおかげさまで
出会うことのできた この映画
だから うっかりこそ
神の采配なのだと
そういえば 迷ったら サイコロを振り
全てを決める思想家の方を 思い出す
🌊
海の近くで生まれたので
海の近くが好きだし
海に関することに 肌が合う
ひょんな事から うっかり
拝見することになった
ガイアシンフォニーの 第二章の
ジャックマイヨールさん
映画のグランブルーが 大好きだったし
イルカには 去年 目を二回患った時
イルカのエネルギーに
助けていただいたし
脳幹の狭間の 青き龍なる海馬は
海へ 海へと いざないゆくし
命の源は 海から始まったし
だから そろそろ命へ 戻るのかしら
今のわたし達は 命から遠のき
スマートフォンやSNSに 親しみ
一方 海に親しまれたこの方は
陸の暮らしは 苦手だったのか
海に生きるとしても 陸は有り
SNSの中を 闊歩するにしても
家族もあり 家事もあり
帰る家は 大切だろうに
初女さんの地球という名のおむすびを
優しく丁寧に 全てを包み
結んでいく大切さ
大国の中国と 戦う虚しさを放棄し
強き笑顔で 明日という未来を創られる
チベットの方々や ダライ・ラマ
海が好きだからこそ
日々 おむすびを結ぶこと
同胞の悲しみを我が身に感じ
その土台に 明日を創る
強さ という 愛
もう何年も前の映画に
いまを生きるわたしたちへの答えが
声高に叫ばれるわけでなし
静かに 囁くように
太陽の光届かぬ水深百五メートル下
三分間 呼吸の無い世界
一息と一息の 永遠なる刹那に
どきりと 息吹いておりました
🌊
さて そのジャックマイヨールさんから
深海に沈んだ底に 響く音だと
表現され ご生前親しまれたという
雲龍さんの笛の音は
会場の人波が 波となり 群青となり
静かに響く 深海の音色が
生きているにしても
死んでいると 今のこの世で
仮に見なされているとしても
その境目なく 繊細な音は
不思議に 大きく 内側に
おのおのの音が おのおのに響く
宇宙は 内側に広がっていること
命には 生と死があり
死とは だから命の一形態なのだろう
🌊
さて 逗子と厨子ですが
わたしは 自分で知らないうちに
厨子が欲しかったようで
最近 厨子を そういえば
義父より 引き継いでいだのだと思い至る
お仏壇は 義兄が新しく
開いて下さったので
古いお仏壇は 用がなくなり
ならばわたしが と いただいて
観音さまに お鎮まりいただいていて
お精の入ったお位牌は 入っていないので
正真正銘の まさに厨子
そして 逗子の厨子とは
空海様が 地蔵菩薩さまの御為に
厨子を置かれて 逗子だそう
近くには 神武寺があり
古代のころ この地で何が起こったかは
表面の歴史からは 計り知れないけれど
”鶴”岡八幡宮に ”亀”岡八幡宮
加計呂麻島に行きたいなと思っていたら
亀岡八幡宮様の目の前で
加計呂麻島から来た友人に
ばったり出会って びっくりしたり
流れ流れて 不思議な 旅
🌊
そして 今朝 起きがけに
アクロポリス ドルフィナス
という言葉が 浮かび
ドルフィナス という言葉が
あるかどうか 調べるうちに
ホモ ドルフィナス - イルカ人間 -
という言葉があることを知った
でも そこより 少し離れ
アクロポリスの丘の 神殿の中
イデアを 泳ぐイルカがいても
いいじゃないと 示唆されたよう
空は 海のように 青いのだし
ミネラルとしてのわたし ミネラルとしてのあなた
例えば パワーストーンと
一般的に 言われているものの
石の美しい色を構成する 微量な要素を
ミネラルの栄養素としての
観点から 見るならば
この美しい色のミネラルの養分を
自らに添加していきたいから
惹かれ 買い求め 今 共にいると
見なすこともできる
そうやって 改めて見てみると
自らのミネラルを
単に 内側から満たしていくならば
もしかしたら 色々な囚われから
自由になるかもしれないという
仮説を ふと 思いつく
なぜか真っ直ぐいかない 人間関係
はたまた 運命の恋
勝手に 思い込んでいたものが
実は 単なるお互いの
ミネラルのアンバランスが
もたらすものだったとしたら?
🌗
というのも この数日
個人的に 塩ブームが到来中
これが なんだか 調子が良くて
心身ともに ヘタれた部分が
しっかりと培われていく 実感があり
精神肉体 共に 割といい感じ
塩がいいことは 頭の中だけでは
知識として 知っていたけれど
でも 根っからの 甘い物好き
これだけは どうにも やめられず
この甘い物好きは 家系的なもので
一族みんなが ほぼ甘い物好き
そして この家系的な傾向を
人をミネラルとして見る
観点から 見てみると
ああ だからなんだろう さもありなん
🌗
はたして 欲しかったのは
本当に 甘いものだったのか
塩に 注目してあらためて見ると
今まで気づかなかった 疑問がおこる
砂糖が体内に入ると
ミネラルやビタミンが流出して
失われてしまうそうだ
これを 貯金 という視点で見てみる
つまり ミネラルという
ご先祖様から体内に蓄積された
お徳のミネラル貯金を
ちょっと甘みを食べて貯金を切り崩し
またちょっと甘みを食べて切り崩し
やがて 貯金という ミネラルを
使い切ってしまったら
ミネラル貯金は もうすっからかん
ならば 本当に食べたかったものは
ミネラルだったのではないか と。
🌗
これら一連の もろもろを
ミネラル的観点から
シンプルに 見るならば
することは 多分 ただ一つ
甘みを欲しいときほど
ミネラルを含んだ 自然塩を食べてみる
すると まるで潮が引くように
甘みを欲しいという思いが 消え
あらあら 不思議
なんだったのだろう 今までって。
文明は 塩と共に栄え
塩が その地で消えた時
その 文明も 滅ぶそうである
ならば ひとも 塩と共に
自らに 塩を 取り戻すことは
自分という 水の惑星に
塩を注ぎ 海を産み
まるで 自らを 海で満していくよう
満ちてゆく 満ちてゆく
全ての命は ミネラルの海から
太古の昔 始まったのだから
傾国の美女 と 肉だんご
わたしは わたしが だいすき
だから みづくろいだって
おこたらないの
やわらかいからだを
ゆみのようにそらし けづくろい
いつも つやつや ふわふわ
とっても いいきもち
たべたいものだって
はっきりしているわ
これは すき
こっちは もっとだいすき
でも これは きらい
だから たべないの
あなたのところにいるのは
あなたが すきだから
わたしのことが だいすきな
あなたのことが すきだから
だって わたしは わたしが
だいすきだから
🌖
こんな傾国の美女を すきになり
でも 買うといっても
ねこのごはんくらい
わりとよく 食べるけれど
こんなひとみで
見つめられながら
にゃあ といわれると
はいはいと
猫撫で声を 出すしかない
でも ねだられるのは それくらい
天竺から取り寄せた
白檀の香木で
御殿を立てる必要もなく
国の南の果てに
幻の果実を取らせに
馬を走らせることもなく
だから 家が傾くこともなく
安心して 猫可愛がり
🌖
さて 少しおしゃれな
お蕎麦やさんに
ご飯をいただきに伺いました
付け出しは
小松菜と油揚げの煮びたしに
鴨の肉だんごが添えてあり
その 鴨の肉だんごは
人肌より少し暖かい
作り置きをせず そのつど
出汁の中で湯がいた 出来立てのお団子を
入れてくださっているんだ
丁寧だなぁと
ちょっと感激していたら
お隣のテーブルの方は
お三人組の女性
ひとりの人が 一方的に
外国に行ったお話を ずっとして
声がどんどん 大きくなって
わたしにも 聞こえてきて
なんだか 少し 疲れる
あの国 かの都市 遠い街
ここにはいない 誰かのはなし
お向かいの方々は ただ聞いて
でも 「今」だけが 欠落して
目の前にこんなに美味しい
煮びたしに 天麩羅
お蕎麦に 胡麻プリン
一緒に過ごしていらっしゃる
相づちを打つだけの この方たちと
共有できるであろう
今 目の前のシアワセがあるのに
🌖
目を向けたいのは いま と ここ
目の前のご飯を
美味しく作ってくれたひとに
ありがとう
お店を綺麗に お掃除してくださる
おかみさんに ありがとう
今 一緒に時を過ごしてくれる
目の前のひとに ありがとう
わたしが わたしに ありがとう
さて わたしは わたしが
大好きかなぁと ふと思い
いやいや まだまだ
あの傾国の 大先生ほどでは
ただ 本当の意味での 傾国って
自分じゃない 外側の何かを
不自然にまでに
偉い とし過ぎることではないかしら
自分を 無力化することでは
ないかしら
他人を 無力化することでは
ないかしら
目の前の今を 無力化することでは
ないかしら
なぜ洋服の青山は
外人のモデルさんの男女が
あんなに嬉しそうに店内を覆うの?
なぜテレビでは
タメ口の異国風の女の子のご機嫌を
大の大人が みんなで伺うの?
ここは 日本なのに。
あなたは あなたなのに。
🌖
さあ わたしは早く家に帰って
あの黒い艶やかな
毛並みを撫でて
鴨の肉は ないけれど
鳥のももの 肉だんごを 作ろう
それから
旅行の 計画も立てて
薔薇と蓮の アロマのローションで
身繕いもして
わたしがわたしを
だいすきであるために
わたしが わたしのために