言乃葉の笹ふね

笹舟を流すように 言の葉を流そう さらさら流れるよ天の河 ころころと ことたまの 玉手箱

ミネラルとしてのわたし ミネラルとしてのあなた

 

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例えば  パワーストーン

一般的に  言われているものの

石の美しい色を構成する  微量な要素を

ミネラルの栄養素としての

観点から  見るならば

 

この美しい色のミネラルの養分を  

自らに添加していきたいから

惹かれ  買い求め  今  共にいると

見なすこともできる

 

そうやって  改めて見てみると

自らのミネラルを  

単に  内側から満たしていくならば

もしかしたら  色々な囚われから

自由になるかもしれないという

仮説を  ふと  思いつく

 

なぜか真っ直ぐいかない  人間関係

はたまた  運命の恋

勝手に  思い込んでいたものが

実は  単なるお互いの

ミネラルのアンバランスが

もたらすものだったとしたら?

 

 

🌗

 

 

というのも  この数日

個人的に  塩ブームが到来中

これが  なんだか  調子が良くて

心身ともに  ヘタれた部分が

しっかりと培われていく  実感があり

精神肉体  共に  割といい感じ

 

塩がいいことは  頭の中だけでは

知識として  知っていたけれど

でも  根っからの  甘い物好き

これだけは  どうにも  やめられず

 

この甘い物好きは  家系的なもので

一族みんなが  ほぼ甘い物好き

そして  この家系的な傾向を

人をミネラルとして見る

観点から  見てみると

ああ  だからなんだろう  さもありなん

 

 

🌗

 

 

はたして  欲しかったのは  

本当に  甘いものだったのか  

塩に  注目してあらためて見ると

今まで気づかなかった  疑問がおこる

 

砂糖が体内に入ると

ミネラルやビタミンが流出して

失われてしまうそうだ

 

これを  貯金  という視点で見てみる

つまり  ミネラルという

ご先祖様から体内に蓄積された

お徳のミネラル貯金を

 

ちょっと甘みを食べて貯金を切り崩し  

またちょっと甘みを食べて切り崩し

 

やがて  貯金という  ミネラルを

使い切ってしまったら  

ミネラル貯金は  もうすっからかん

 

ならば  本当に食べたかったものは

ミネラルだったのではないか  と。

 

 

🌗

 

 

これら一連の  もろもろを

ミネラル的観点から

シンプルに  見るならば

することは  多分  ただ一つ


甘みを欲しいときほど

ミネラルを含んだ  自然塩を食べてみる


すると  まるで潮が引くように

甘みを欲しいという思いが  消え

あらあら  不思議

なんだったのだろう  今までって。

 

文明は  塩と共に栄え

塩が その地で消えた時  

その  文明も  滅ぶそうである

ならば  ひとも  塩と共に

 

自らに  塩を  取り戻すことは

自分という  水の惑星に

塩を注ぎ  海を産み  

まるで  自らを  海で満していくよう

 

満ちてゆく  満ちてゆく

全ての命は  ミネラルの海から

太古の昔  始まったのだから

 

 

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