言乃葉の笹ふね

笹舟を流すように 言の葉を流そう さらさら流れるよ天の河 ころころと ことたまの 玉手箱

アクロポリス ドルフィナス

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逗子 zushi という響きが
なんとも 懐かしく
右脳と左脳の 群青の狭間
海馬の彼方より いざなうので
あまり深い考えも なく
彼の地に行かうと ただ 思い立つ

然し乍ら 今までも
旅は あまり理由もなく
なんとなく から はじまる方で

そして なんとなくはじまるヒトは
旅の最中や 波濤の果て 渦潮の彼方
はじまりの 今中に
行き交う舟のように 棲まうだろうし

逆に 理論から はじまるヒトは
いずれ 摩天楼のような ビルディングを
青き空の下 高く高く
輝けるポリスに 建てるのだろう

🌊

さて -ズ ZU ヅ- である
伊豆 出雲 水 頭脳 厨子
イヅ イヅモ ミズ ズノウ ヅシ イズミ
興味のあるワードが
出ずること 出ずること
そして 豆 という部首も
前々から 気になっている

🌊

そして わたしは
映画を観に そして御笛を聴きに
伺ったのだけれど
何と 映画の方は
同じタイトルの 回数違いだそう
それが 申し込んだ後から わかり
いつもながらの うっかり

でも このうっかりが 案外よくて
うっかりなおかげさまで
出会うことのできた この映画
だから うっかりこそ
神の采配なのだと
そういえば 迷ったら サイコロを振り
全てを決める思想家の方を 思い出す

🌊

海の近くで生まれたので
海の近くが好きだし
海に関することに 肌が合う

ひょんな事から うっかり
拝見することになった
ガイアシンフォニーの 第二章の
ジャックマイヨールさん

映画のグランブルーが 大好きだったし
イルカには 去年 目を二回患った時
イルカのエネルギーに
助けていただいたし

脳幹の狭間の 青き龍なる海馬は
海へ 海へと いざないゆくし
命の源は 海から始まったし
だから そろそろ命へ 戻るのかしら

今のわたし達は 命から遠のき
スマートフォンSNSに 親しみ
一方 海に親しまれたこの方は
陸の暮らしは 苦手だったのか

海に生きるとしても 陸は有り
SNSの中を 闊歩するにしても
家族もあり 家事もあり
帰る家は 大切だろうに

初女さんの地球という名のおむすびを
優しく丁寧に 全てを包み
結んでいく大切さ

大国の中国と 戦う虚しさを放棄し
強き笑顔で 明日という未来を創られる
チベットの方々や ダライ・ラマ

海が好きだからこそ
日々 おむすびを結ぶこと
同胞の悲しみを我が身に感じ
その土台に 明日を創る
強さ という 愛

もう何年も前の映画に
いまを生きるわたしたちへの答えが
声高に叫ばれるわけでなし
静かに 囁くように
太陽の光届かぬ水深百五メートル下
三分間 呼吸の無い世界
一息と一息の 永遠なる刹那に
どきりと 息吹いておりました

🌊

さて そのジャックマイヨールさんから
深海に沈んだ底に 響く音だと
表現され ご生前親しまれたという
雲龍さんの笛の音は

会場の人波が 波となり 群青となり
静かに響く 深海の音色が
生きているにしても
死んでいると 今のこの世で
仮に見なされているとしても
その境目なく 繊細な音は
不思議に 大きく 内側に
おのおのの音が おのおのに響く

宇宙は 内側に広がっていること
命には 生と死があり
死とは だから命の一形態なのだろう

🌊

さて 逗子と厨子ですが
わたしは 自分で知らないうちに
厨子が欲しかったようで
最近 厨子を そういえば
義父より 引き継いでいだのだと思い至る

お仏壇は 義兄が新しく
開いて下さったので
古いお仏壇は 用がなくなり
ならばわたしが と いただいて
観音さまに お鎮まりいただいていて
お精の入ったお位牌は 入っていないので
正真正銘の まさに厨子

そして 逗子の厨子とは
空海様が 地蔵菩薩さまの御為に
厨子を置かれて 逗子だそう

近くには 神武寺があり
古代のころ この地で何が起こったかは
表面の歴史からは 計り知れないけれど

”鶴”岡八幡宮に ”亀”岡八幡宮
加計呂麻島に行きたいなと思っていたら
亀岡八幡宮様の目の前で
加計呂麻島から来た友人に
ばったり出会って びっくりしたり
流れ流れて 不思議な 旅

🌊

そして 今朝 起きがけに
アクロポリス ドルフィナス
という言葉が 浮かび

ドルフィナス という言葉が
あるかどうか 調べるうちに
ホモ ドルフィナス - イルカ人間 -
という言葉があることを知った

でも そこより 少し離れ
アクロポリスの丘の 神殿の中
イデアを 泳ぐイルカがいても
いいじゃないと 示唆されたよう
空は 海のように 青いのだし